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JP EN Timeline Research Coexistence Data Facts & Photos navigation#toggleMenu"> Timeline Research Coexistence Data Facts & Photos Top coexistence 「いつか」ではなく「今」行動することで道は開ける coexistence 復興と共存の10年 Article 「いつか」ではなく「今」行動することで道は開ける 2021.03.11 SHARE 岩手県釜石市でベンチャー企業を立ち上げた女性起業家の行動力とは 「震災後、東京で普通に生活をしていることに違和感を感じた」と震災当時を振り返るのは岩手県釜石市に本社を構えるパソナ東北創生の戸塚絵梨子さん。東京生まれ東京育ちでありながら、釜石を拠点に企業向け研修ツーリズムや大学生のインターンシップを手がける若き経営者だ。戸塚さんが東日本大震災とどのように向き合いどのような行動を取ったのかを伺った。 Profile 戸塚 絵梨子さん 起業家・経営者 パソナ東北創生代表取締役社長。2009年早稲田大学教育学部卒業。同年に人材派遣・人材紹介ビジネスを展開する株式会社パソナに入社し、人材派遣の法人営業を担当。2011年の東日本大震災から被災地でのボランティア活動に取り組む。2012年には社内のボランティア休職制度を利用して、一般社団法人「三陸ひとつなぎ自然学校」に入職し岩手県釜石市の復興まちづくりに携わる。復職後は社内起業制度を活用し、2015年株式会社パソナ東北創生を設立して社長に就任。 自分の無力さを痛感して継続的に被災地と関わっていくことを決意 2011年3月11日、戸塚さんは営業先から帰社する途中で歩けなくなるほどの揺れを感じた。震災の影響で首都圏の交通機関は不通となり、戸塚さん自身も徒歩での帰宅を強いられたが、大きな被害もなく、恐怖を感じつつも震災前の日常生活に戻るのに時間はかからなかった。 「幸い仕事への影響も少なく少しずつ以前と変わらない日常に戻っていきました。その一方で、テレビには避難生活を余儀なくされた人々の生々しい様子が映し出されていて、無視することのできない違和感を覚えました。『自分が取るべき行動は何か』。心の声に従い、大学時代の友人と一緒に被災地へ向かうことに。被災地では、がれきの撤去や泥のかき出し、津波により冠水した畑の除塩作業のボランティア活動に携わりました。 取り組んでも一向に終わりの見えない作業に、『自分ひとりにできることは微々たるもの。元通りにするには膨大な時間と人手が必要』と自分の無力さに打ちひしがれました。すっかり自信をなくした私に対して、住民の方は『何もお礼できないけど』と地元の名産品を渡してきて…。避難生活で支援物資が行き届かない状況にもかかわらず用意するのは大変だったと思います。『継続して被災地に関わっていかなければならない』と決意するには十分すぎる出来事でした」 「ありがとう」に満足する自分に違和感を覚え、休職制度を利用してボランティアへ 「知ることの責任」。被災地と関わっていくなかで、ふと大学のゼミで教わったこの言葉が浮かんできた。振り返ると戸塚さんの行動指針のひとつとなっていた。被災地を訪れたことで人ごとではいられなくなり、その後も仕事の合間を縫って東北に足を運んだという。 「被災地を訪れるたびに現地の方々は『ありがとう』と笑顔で接してくれるのですが、それに満足している自分に違和感を抱くようになりました。『被災地で何ができるかを考えたい』『被災地で何が起きているのかを見てみたい』という自分の内なる思いが強くなり、会社のボランティア休職制度を利用して岩手県釜石市へ向かいました。そこでは私も仮設住宅に入って、遊ぶ場所を失ってしまった子どもたちと一緒に放課後活動に打ち込んだり、津波で漁場が荒らされた地元の漁師さんのお手伝いをしたりと、現地の方と暮らしを共にしました。 そこで目にしたのは被災地の人々の強さ。受け入れがたい現実と正面から向き合い、再び海と生きることを決意する生き様に衝撃を受けました。 また、現地でお世話になったのは地元の同世代の方々が起業した団体でした。私とあまり世代の変わらない人たちが『自分たちの町の未来を作ろう』と日々議論・奮闘する姿に刺激を受け、憧れを抱きました。 「今やりたいこと」から目を背けない20代で都市と地域を結ぶベンチャー企業を設立 休職期間を終えた戸塚さんは、東京に戻ったあとも釜石との関わりを持ち続けた。月に1度は釜石に通い時には友人や同僚を連れて自ら発案した観光ツアーを実施。その後社内にベンチャーファンド制度(社内起業制度)が設置されたのを機に、パソナ東北創生の構想を練り上げ20代でありながら起業という大胆な行動をとった。 「東京で働いていた頃は、20代、30代、40代と年齢と共に経験やスキルを積み重ねていく長期的なキャリアを思い描いていました。その時点でやりたいことができなかったとしても成長していけば『いつかそれができるようになる』という考え方です。でも釜石を訪れて現地の方と暮らしを共にし、同世代のメンバーと仕事を共にしたことで『今自分に足りない力は周りから借りよう』、むしろ『今やりたい』ことから目を背けてはいけないと考えるようになり、2015年にパソナ東北創生を立ち上げました。 主な活動内容としては、大学生や社会人を対象にした地域滞在型の研修ツーリズムや、県外からの移住者の事業創造支援や地域企業へのマッチングコーディネート、全国から集まる大学生を釜石の企業にコーディネートするインターンシップ事業です。都市と地域の関係性を見つめなおし『地域から豊かな生き方・働き方を創出する』ことを目指して活動しています。 大胆な行動力の原点は大学時代に立ち上げたサークルでの経験 まったく関わりを持っていなかった地域でのボランティア活動、休職してまで現地で暮らすことにこだわった釜石移住、そして20代という若さで実現した釜石での起業。大胆な行動力の原点について伺った。 「行動して失敗することもあります。失敗して初めて気づくこともあります。そこから学び次へのステップにつなげることもできます。何かを始める前にハードルの高さを感じずにいられるのも早稲田大学での経験があったから。大学では「音楽でつながる人と人」をコンセプトにしたサークルの立ち上げに携わり、大学近くの商店街の方々や地域の子どもなど、様々な世代の方を巻き込んだ音楽祭を開催していました。学生だったこともありイベント自体は荒削りだったのですが、考えるよりも前に『とりあえず動いてみる』という行動指針を身につけることができました。これまでの歩みを振り返ってみると、大学で身につけた行動力が今の仕事に生きていると実感します。 東日本大震災から10年の節目を前に思うのは『復興はこれからも続いていくということ』。地域が主体となり地域から豊かな生き方や働き方を創造できるよう、釜石のプレイヤーの一員として継続して取り組んでいきます。 SHARE --> --> 教育、研究、貢献、復興。 それぞれの場面に 多くの出会いがありました。 時代が移り変わっても 早稲田大学は 集まり散じて成長する場を創出していきます。 © 2021 Waseda University. All rights Reserved. Credits

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